第一次 原ジャイアンツ、甲子園での退任セレモニーの驚きの裏側。




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第一次原政権終焉、退任セレモニーは東京ドームではなく甲子園でした。

原監督の一次政権の終わりの時。

2003年原監督は、読売軍団のドン・渡邊恒雄氏の有名な言葉でもある「読売グループの人事異動」により3年契約の2年目という任期途中で無念の退任。その背景には、読売フロントと原監督との確執があったとも言われています。

そして、原監督の退任セレモニーは、シーズンの最終戦の甲子園球場にて行われました。しかし、本来の退任セレモニーは本拠地である東京ドームの最終戦で、大勢のジャイアンツファンの前で行われるべきだったのです。

今回は、なぜ退任セレモニーが東京ドームではなく甲子園で行われたのか、そして、その退任セレモニーの裏ではある大物が動いていました。今回は、甲子園で行われた退任セレモニーの裏側を紹介します。

球団社長と原監督の確執が原因で不本意な辞任だった。

原監督は就任一年目で日本一に輝きました。

そして退任したシーズンは、3年契約の2年目にあたり、前後の実績からいって退団しなければならない理由は何もありませんでした。

原監督とフロントとの確執の原因は、現場への相談なくフロント主導でコーチ人事を行おうとしたり、読売ジャイアンツが9連敗した9月15日の夜に球団スタッフが原監督を呼び出し、采配について注文をつけたりしたのです。

しかし、原監督はコーチをファミリーとして位置付けており、何の相談もなくコーチ人事を行おうとしたフロントに不信感を抱き、結果的に確執がうまれたのでした。

読売グループとしても、球団社長を変えたばかりの時期で、原監督の言い分は分かれど、チーム状態が悪い中で何か対策をうっているという姿勢を見せる必要があり、方針を変えるわけにはいかなかったのです。

そして、ジャイアンツ球団は原監督のセレモニーを行わなかった。

本来であれば、退任セレモニーは球団が主催して行うものです。

しかし、当時の読売フロントは現場レベルから意見してくる原監督を煙たがり「フロントの思い通りに動かない原監督の退任セレモニーをやる必要はない」と判断したのでしょう。

どんな背景があれど、功労者である監督に花道を用意しないのは、ファンや関係者が納得するはずもありませんでした。

そして、ファンと同じ怒りを感じていた一人の男がいたのです。

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