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中卒という学歴で、一国の総理大臣にまで上り詰めた田中角栄。
いかに、我が身一つで立身出世を遂げたのか。彼の生き様からは、令和の時代でも応用できる、成功のエッセンスが凝縮されている。
世間的には、ロッキード等の印象も根強いが、今回は、「出世」「学歴」を通した成功法則に焦点を当てて、
混迷の今を生きる我々のヒントを見出したい。
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すべてを超越する、知能と行動力
田中角栄氏の真骨頂は、即断即決の行動力、精密な記憶力だ。
ついたあだ名は、“コンピューター付きブルドーザー”。
国家予算は一桁も間違えずに暗記し、一度会った人々の顔と名前は決して忘れない。
官僚の家族構成、昔訪れた場所の人々の名前、土地に咲く木や草花の名前まで必要な場面がくれば、すぐに諳んじたという。
また、訃報があればあらゆる予定をキャンセルして、一番に駆け付け、花は毎日取り換えるよう手配したという人情屋でもあった。
権力で抑え込むようなことはせず、浪花節(義理人情)を愛した。
真夜中に起床、1日4時間の勉強を確保
男を支える知力は、圧倒的な勉強量からなる。
多忙を極める中でも、必ず真夜中に起床し、1日4時間超の勉強を欠かさなかったという。
幼少時代の、境遇に恵まれたわけでもなく、父親の事業失敗による借金で進学の夢を絶たれた苦学生だった。
大工の資格を取得する際にも、昼間は工場で働き、自ら稼いだお金を原資に、クタクタの疲れ切った身体で夜間学校に通う。
眠気が襲うが、尖った鉛筆の先を親指に強く押し当て、睡魔と戦いながら知識を詰め込んだという。
時に、尖った芯を差し込むことですら、睡魔に耐え切れず、つい寝入り、深く鉛筆の芯が刺さり抜けなくなる。
彼の親指には、総理大臣になってからもくっきりと鉛筆の芯で黒くなった点が刻まれていたという。
とてつもない才能は、骨身を惜しまない学問から、生まれるのだ。
スピーチ(演説)の天才――田中角栄
田中は圧倒的な勉強を誇り、世の中の森羅万象、人間の感情を詳細に理解し、物事の本質を掴んでいた。
その為、難しいことを身近な事に例え、誰にでもわかりやすく話すユーモアの天才でもあった。
決して、偉ぶることなく、時には自身を自嘲したり、時に怒ったりしながらも、上手に自分の意見を伝えるアサーションの名人だった。
以前、TV番組で田中角栄特集が組まれ、話術の達人と言われた島田紳助氏からも「おもしろい」と手放しで称賛されていた。
(政治についての話)「子供が10人いるから羊羹を均等に切る(のはダメだ)。そんな、社会主義や共産主義みたいなバカなこと言わん。君、自由主義は別なんだよ。(羊羹を)チョンチョンと切ってね、一番小さな子供に、一番大きな羊羹をやるわけ。分配のやり方が違うんだ。大きな奴には“少しぐらいガマンしろ”と言えるけど、小さい子はおさまらんよ。それが自由経済!」
(教育について)「先生が(当時のデモ行進で)道をジグザグに歩いていて、子供たちにまっすぐ歩けと言っても、そりゃあ無理な話だ。」
(新幹線の反対勢力へ牽制)「赤字を垂れ流して新幹線をつくっている田中が一番悪いやつだ!とそう言ったんで、わしは新幹線の竣工式に行かなかったんですよ。ところがテレビが聞きに来たから「ご感想は?」なんて言ったから「(新幹線に)反対する奴は、今度新幹線に乗せない法律をつくるつもりだ!」と言ったんだ。どういう放送するかと思ったら、テレビは一番いいところだけ切り取って放送しないんです、あれまた、本当に放送したら大変なんだがね。(観客爆笑)
(ロッキード事件後の結婚式のスピーチにて)「田中角栄でございます。私は今励まされる立場で、励ます柄じゃあないが・・」(観客爆笑)
(国会について)「議論しなくてもいいことは徹夜してやっていて、しなきゃならないことはやらないんだ。」(観客拍手)
本質を理解し、客観的に要点を的確に整理できていたからこそ、巧みな比喩を使い、一般聴衆にもわかりやすく伝えられた。
また、どんな小さなスピーチの後でも汗をいっぱい書き、全力で当たっていたという。
「ライオンはウサギ一匹捕まえるのすら全力」を信条として、原稿に頼らず、自分の言葉と情熱で、手を抜かず本質を伝える男だった。
陳情客もすぐに対応
そんな、田中の目白の自宅には、連日陳情客が押し寄せ、朝から行列ができたという。
地域の治安、インフラ整備から、就職・結婚の相談など、どんな話でも真剣に受け止めた。
鋭い洞察力で問題の核心を見抜き、必要とあらば、その場で電話をかけまくり問題を解決していった。
住民が「川が洪水で氾濫して困っている」と陳情すると、即座に予算を確保、ダムの建設ですらすぐに決まったという。
「検討する」と言わず、その場ですぐやる姿勢に、大衆は魅せられた。
相談した場で、解決策を見出し、すぐに課題の突破口を切り開くの姿を目の当たりすると、もはや過去の学歴や背景などが関与する余地はない。
大事なのは、この瞬間なのだ。
「私が田中角栄だ!」――大蔵省での伝説のスピーチ
彼を象徴するエピソードとして欠かせないのが、大蔵大臣就任時のスピーチだ。
大蔵省といえば、秀才が居並ぶ日本屈指の超エリート官僚集団。
田中は、全員が訝し気に見守る就任の壇上挨拶で、こう口を開いたという。
「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。できることはやる、できないことはやらない。しかし、一切の責任はこの田中角栄が負う、以上!」このシンプルで力強い言葉に、一瞬でエリートの心を捉える。
自尊心は強いが、責任はとりたくないという省の保守的な文化を見抜き、すべての責任を負うと宣言することで、能力を存分に発揮させる。
人事権や出世、金と情など、アメとムチを上手に使いこなし3年後には、大蔵省官僚を完全に牛耳っていたという。
中卒の田中角栄vs東大卒のエリート福田赳夫、ガチンコ勝負!
田中角栄氏の政治人生における最大の見せ場、宿命のライバル・福田赳夫氏と競った自民党総裁選をおいてほかにない。
長期政権を築いた、佐藤栄作氏が総理大臣を退任。
「年功序列の流れでいけば、次の総理は東大卒のエリート・福田赳夫で決まりだろう。」と目さされていた。
佐藤栄作も後継者として、福田を公言している中、既定路線をぶち壊したのが中卒・田中角栄だ。
両陣営の水面下の駆け引きは、金も人間模様も入り乱れる、まさに総力戦だったとされる。
総裁選は決選投票にまでもつれるが、最終的に、田中氏が総裁選を制する。東大卒のエリートを抑え、総理の座を射止めたのだ。
なぜか?
人間力が勝負を決めたといわれる。
象徴的なエピソードがある。金銭借用の相談をされると、福田は用途や金額を細かく聞き、ちょうど渡す性分だったそうだ。
しかし、田中は金銭借用の相談をすると、話を半分聞いたところで、求めの3倍の金額(封筒を3つ)を与えたという。
「1つは課題解決のために、もう1つは自分自身のために、もう1つは将来のために取っておけ。そして返済無用である」
と己が、幼少期から苦労を重ね、金銭の苦労を骨身に沁みてわかっていたから持ち得た人情とからの行動とされる。
議員は一瞬にして、心を掴まれ生涯、田中への忠誠を誓ったという。
手段と目的を理解していた。
総理の座は目的ではなく、手段。田中角栄氏が総理大臣に就任と、彼はすぐに動く。
長年にわたり絶縁状態が続いていた中国との国交正常化を遂行にうつす。
日中戦争を筆頭に、両国間にはとてつもない歴史的な憎悪が存在しており、簡単な駆け引きであるはずもない。
水面下での、地ならしなどしないまま交渉に向かったという。田中の随行者は、家族に遺書を書いてから出発したほど未知の交渉。
現地に入ってからも、厳しい交渉が続き、あらゆる困難な壁にぶちあたるも、持ち前の天才的な駆け引きで対処し、ついに悲願を達成させる。
これは、田中政権最大の功績と称えられている。
また、現在の交通の大動脈となる、新幹線の敷設に乗り出す。
東京タワー問題も、電話一本で解決
日中国交正常化に代表さえるように、優れた記憶力や行動力のみならず、臨機応変な発想で難局を突破していく柔軟性がある。
その象徴的なエピソードが、東京タワー建設時にある当時、東京タワーは建築基準法の高さ制限に引っかかり、工事が進められないという課題に直面していた。
しかし、田中はこの問題をすぐに解決する。
当時の担当大臣にこう伝える。
「そもそも、建築基準法を作ったのは私だ。」
その上で、
「東京タワーは一般の建物ではない。したがって、建築基準法の高さ制限の対象にはならない」
結果、東京タワーの建設は間もなく開始され、日本のシンボルとなる巨大建造物が完成する。
チャンスを逃さない
一瞬のチャンスを掴む少ない勝機を逃さない達人でもあった。
彼は、1年生議員のころ、常に六法全書を持ち歩いていた。
見栄っぱりの新人と思った重鎮・吉田茂が、法律について尋ねると、一文も間違うことなく、見事に諳んじ、その見識の深さに感嘆したことで重用が始まる。
一瞬の、チャンスの尻尾を掴む力にも長けていたのだ。
気配り・目配りを忘れず、「かゆいところに手が届く」生粋の実務家。
駆け引きの天才とされ、驚異的なスピードで出世の階段を駆け上がる。
戦後最年少、39歳で郵政大臣に就任国民の人気も抜群で田中氏の姿を一目だけでも見ようと群衆が押し寄せ、人垣ができたという。
コンプレックスも学習に変える田中角栄打ち立てた議員立法33件は、今なお破られる事のない前人未踏の記録だ。
興味深いのが、彼が法律を学ぶきっかけは、彼のコンプレックスであった吃音改善がきっかけとされる。
人前で吃音でどもり、苦しみぬいた末、六法全書を一定のリズム読み上げる事、浪曲を学びリズムを習うことで自力で克服に至らせる。
彼の法律の知識は、彼自身の生来の課題の克服の勲章でもある。令和を見通した男、田中角栄テレビ局に放送免許を交付したのも、現代の日本の移動を支える新幹線敷設に深く関わったのも、田中角栄だ。
未来の日本を見通す先見性が備わっていた。
事実だけを見れば——「中卒の人」が作ったインフラの上で、私たちは今日も当たり前のように生活している。
そう考えると、物事を成し遂げるのに学歴は関係ないという確信が湧いてくる。本当に必要なのは、未来を見据える力、そして実行する勇気だ。
ロッキードとはなんだったのか
昭和の時代にありながら、未来を見通す力があり、リニアモーターカーの実現、インターネットの隆盛すら、早い段階で予見していたという。
裸一貫で、中卒から総理大臣に成り上がった姿は、農民から太閤となった豊臣秀吉になぞらえ、”今太閤”と呼ばれ称賛された。
しかし、その圧倒的な実行力が、やがて大きな壁にぶつかることになる。ロッキード事件である。
あの事件以降、精彩を欠くようになったと評価する声も少なくない。しかし、件に関してあらゆる著書を読むと、直接事件を裁いたり・関わった人物ですら「あの事件はなんだったのか」と、未だ五里霧中の中にあるという。
一説によると、彼の圧倒的な頭脳と行動力がアメリカに恐れられ、ロッキード事件でけしかけられたという見方すらあるほど。
彼の石油交渉がアメリカの虎の尾を踏んだという指摘も興味深い。
仮に、田中角栄氏が、「自分は中卒だから」と卑屈になっていたら、何一つ成し遂げられなかったはずだ。
人生を決めるのは、学歴でも、経歴でもない。大事なのは、今この瞬間から、何をするかなのだ。
田中角栄が証明したのは、学歴や環境ではなく、「何をするか」で人生は決まるということ。
学歴や経歴ではなく、今この瞬間から、何をするかが未来を決める。
